仕事の分野のせいか…「sustainability、持続可能な世の中」というwordは、これでもか と出てくる。
持続可能な未来のために、あれこれ考えることは言うまでも無く良いこと、
それ以上に 特別な努力無しに意識するべきこと である と考えている。
というのは前置きで、
今朝のヒトコマ:
たまたま収集時間に表に出ていたわたし
ゴミ収集車のおじちゃんと交わした会話
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おじちゃん:「おはようございます」
わたし:「おはようございます」
おじちゃん:「寒くなってきましたね…いつもありがとうございます」
わたし:「いえいえ、こちらこそありがとうございます」
おじちゃん:「また よろしくお願いします」
わたし:(収集車お見送り)
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収集する側 がだよ…
ゴミを出してくれてありがとう…なのか
収集という仕事があるのは(みんなの)ゴミのおかげ…なのか
この 謙虚さ(といって良いの?)、やってやってるぜ感みたいなおごりも嫌々やってる感… なんてどれも皆無の
心洗われるような短い やりとり
きっと、おじちゃんの お人柄 そのものなんだろうけど
この「人柄」のモトというか そこから感じ取れる「謙虚さ」…
自分と人の間に「素直にありがとう」を見つけられる、置けること
うまく言えないけど、こういうキモチが「サステナブルな未来」につながる…
素晴らしいソフトやハード、仕組みやシステムなんかも開発・進化されている
それはそれで大切、とても良いこと
でも おじちゃんの その人柄 は
どんなステキなモノに囲まれていても
サステナブルな未来のために
…なくてはならない存在「たね」だな…と
人の力をあらためて感じさせられました
そんな 未来の「たね」の話でした <(_ _)>