0→1 続き

先日、かき氷をつつきながら打ち合わせた時の話が

連日頭の中をぐーるぐるぐる。

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「真似しようと思えば誰でも真似できること…」

そうね、真似ようと思えば出来るかもなぁ・・・とも感じつつも

無かったものをつくり出す=「0」を「1」にする のと

どこかで見た「1」を「1.x」にするのは、違うよな とやっぱり思う。

「1」を続けて2.3.4.5.6…としていくことも大切、

でも「0」から「1」への一歩は源泉、そこがクリエイティブ。

そこは譲らずでいてほしいと思うな。

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と、ここまではfacebookでツイートした。

謙虚な人なので、謙遜も混じったコトバだったのかも知れないが

きっと「そうじゃないよ」と言いたかっただけ。

 

でも実は、続き(というかまだ)ある。

多分誰しも、私も、

見た、聞いた……自分の「記憶」から何かを感じたり、対話してモノをつくってる(はず)。

少なくとも私は そう。

言い換えると「誰しもが “何かを真似ている” 」とも言える。

記憶や今を、組み合わせたり、混ぜたり、ちょっと変えたり……

だからこそ、行き着けるところまでの 対話 が必要なんだと思う、

そう「自分」とのね、「自分フィルタ」を通して落ちたモノ、残ったモノ、出てきたモノは大事。

 

私が思う限り無く純粋な「1」は、

自分自身との対話、大げさかもしれないけど戦い(と言ってもいい)から出てくるモノ。

うり二つに 真似る だけじゃ、そこに込めたり、入ってる

人に響く “原動力” や「自分」までは、写せない。

 

『世界には、人の数だけ頂点がある』

『自分自身に還って行く以外モノを生み出せる方法は無い』

 

人から見える見えないは関係無く「自分」が入ってることが「1」への絶対条件(ですよね)。

そんな恩師から聞いたコトバが

ぐるぐる……と、たまに螺旋みたいに現れる、

ありがたい。