ことだま

とある打合せの次の日の 打合せ夜の帰り道で、聞こえてきた
「高校生達が手づくりしたジャム、今日が最終日です。」
一度は通り過ぎてみたものの「とある打合せ」で聞いた言葉
「どこにお金を落とすか」〜自分がお金を払うモノへの応援になれば〜という
耳から離れなかった言葉が足を戻した。
試食をしても、私的には特別愛でるほど美味しいと感動はしなかったが
ささやかにがんばれと言えるのかな とも思って買って帰った。
けど、ジャムを食べる子どもの顔を見てるのは いつもより嬉しく思えた気がした。
思い込み と言われればそれまでだけどね、
「気がした」のは、人の考え方や言葉の中身のような「見えないモノ」
それをキモチと言うのかもしれないが…
そんなもののチカラというか「せい」というか。
わたしは 案外身の回りの多くのことが
そんな「見えないモノ」で変わったり回ったりしていると思っているし
そこが大切だと思っている。