これとあれの二次元的な境目
こっちとあっちの空間的な稜線
何かが何かに移り変わる瞬間に
その一瞬に「際」は現れる。
輪郭線というものが無いように
「際」そのものもじつは同じようなものなのかもしれない。
「際」には、厳しさがついてくる、
変わる瞬間には、意志決定や強いられる順応が伴うから。
「際」を紐の端に例えると、紐の真ん中(際と際の間)は
ある意味そういう厳しさとは無縁の いごこち があるのかも。
でもどうだろう?
壁とか、もうダメとかいう名の
大なり小なりいろんな「際」が現れたとき、
そこで見えたものが今の自分の中に残っていないだろうか、
そこで得たものだけが、今の自分をつくっていないだろうか…
でも、まだまだまだまだ…
未熟なのは いごこち に甘んじているからじゃないだろうか…
ふと思う…文字は違えども、
極める…際(を)見る ではなかろうか、
思い込みでもかまわないことにしておこう、
あらためて、モノコトを 見「際」めるよう に意志を向けて行く…
わたしもいつか現れる、最大なのかな 生と死の際。
人生最期の表情がひとつの「際」に現れるものなら、
伺い知る話だけでもとうてい真似などできない生き様…
でも、とても静かで深く、やさしく思える表情を浮かべて、
5月3日に95歳で他界したおばあちゃんの際と際の間、生き方を、
せめても見習う……と肝に銘じます。